2005年05月15日

昨日のテレビ

夜8時〜9時くらいだったか、バラエティ番組を見たのです。
(多分、フジのめちゃイケですね。)

お台場にある船の博物館でロケしてたんですが
露骨に引越しおばさんをネタにしてましたね。
「ロケ中止!ロケ中止!しばくぞっ!」(布団ばんばん)

…まだ第一審判決も降りていない以上
ただの一市民だと思うのですが、報道番組として特集するならまだしも
お笑いのネタにするのは有りなのだろうか??

と、ふと考え込んでしまう。

検索してみて、このようなページを見つけました。
長くなりますが引用させていただきます。
下手にブツ切りにするとミスリードとなりかねないので。

私のような中途半端な理系人間にはちと難しいのですが、読んだ後、
先日の読売記者の件を考えるとまた違った物が見えた、気がしました。

「内田 樹の研究室」の過去の日記 7/1の分より、

今日の大学院の演習のテーマは「司法とマスメディア」。発題者は司法浪人の影浦くん。

松本サリン事件、和歌山ヒ素事件を題材に、裁判所で判決が出る前にマスメディアによって実質的な社会的制裁がなされてしまう事態を批判してくれた。

影浦くんの言うのは正論である。

しかし、ウチダはいかなる「正論」に対してもつねに「アヤを付ける」ことを教師の教育的配慮の一つと心得ているので、さっそく反論を試みる。

メディアが裏付けのない予断によって市民を犯罪者扱いにして、社会的に抹殺することはもちろん許されることではない。

しかし、そのような予断を完全に制限することは不可能だし、なすべきでもないと私は思う。

「疑わしきは罰せず」と言うが、逮捕、起訴、裁判、判決、どの段階で私たちが被疑者によせる「疑わしさ」は「確信」に変わるのか?

たしかに最高裁で判決が下されれば、制度的には正邪理非はあきらかになり、「疑わしさ」を「確信」に切り替えてよい、ということになるであろう。

しかし、ほんとうにそうしてよいのだろうか?

現に私たちは最高裁判決のいくつかについて懐疑的であることが多い。最高裁判決に対して涙で抗議する人々や居丈高に論難する有識者を私たちはメディアでよく拝見する。法制上の終局判決が「客観的事実」と同じだけの事実性の重みをもっていると私たちは感じていない。

つまり、ある犯罪について「疑わしさ」が「確信」に切り替わる決定的契機というのは、法律的擬制としてしか存在しないのである。

「そのとき何が起きたのか」については、つねに一抹の「疑わしさ」がついてまわる。

それはどれほど証拠を並べ立てても、どれほど時間をかけて検察弁護の言い分を吟味しても「ほんとうに、そうなのだろうか?」という疑惑は(タイムマシンに乗って、犯行の瞬間に立ち戻らない限り)完全には払拭されない。

だから「疑わしきは罰せず」という法諺を文字通りに適用すれば、逆説的なことに、司法制度そのものが不可能になってしまうのである。

法律で言う「疑わしさ」や「確証」は擬制であって、事実ではない。

だからメディアに向かって、「最終的な判決が下るまでは、被疑者についていかなる予断も持ってはならない」と要求しても、メディアがそれを受け容れるはずはないのである。

そもそも私たちは現にマスメディアの「制裁機能」を準−司法的な制度としてすでに受け容れている。

判決にあたって、裁判官が「被告はすでに十分な社会的制裁を受けており・・・」という説明によって量刑を加減するということは現に行われている。この言葉は司法制度以外の社会制度が「信賞必罰」という社会的機能の一部を補助的に担っていることを暗に認めている。

私たちがメディアに要求すべきなのは、「疑わしきは罰せず」という原則の遵守ではなく(それは不可能である)、メディアはどのような準−司法的機能を担うべきか、についての議論の深化と社会的合意の形成である。

メディアの過熱する犯罪報道についてはきびしい批判をする人が多い。

しかし、法律的判決以前に、すこしでも速く、それとは別の(もっと厳密でない)基準によって、被疑者への社会的制裁がなされることを切望しているのは、私たち自身なのである。

推定と予断に基づく社会的制裁を厳密に禁じた場合、私たちの社会は今より住み易くなるだろうか?

これは頭をクールダウンして計算すべき論件であるように私には思われる。



ニックネーム いそはち at 12:00| Comment(2) | TrackBack(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
犯罪者をネタにする・・・ということに対してよりも、やってはいけないこと、迷惑になることを題材として子供が見る時間におもしろおかしく番組にすることに腹ただしさを覚えます。

だからこそ、全てを面白おかしくしかとらえることができない子供や若い人が増えてるのでは?と。

TBありがとうございます!
Posted by kao at 2005年05月18日 10:17
TBありがとうございました。
フジ系列は、オモシロければなんでもやるというような印象があります。
あの番組を見て、被害者の人に同情した人と
面白いと思った人の、違いがその人の心の謙虚さを
わけるんでしょうね。
Posted by usagi at 2005年05月18日 12:03
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引越しババー
Excerpt: 見た方は多いと思いますが、自分はこの番組は見ないんで初めて見ました! これってい
Weblog: めど9
Tracked: 2005-05-16 13:21

ちょっとまじめな話。
Excerpt: 子供と一緒に過ごす仕事を長くしていると、 子供×保護者(大人)×社会の状況×マスメディアの影響 様々なことが気になった仕方がない。
Weblog: 日々記録ごっこ
Tracked: 2005-05-18 10:19

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Excerpt: フジテレビに公共性を求めようとは思わない。 キャッチフレーズが「面白くなければテレビではない」。 つまり、視聴率を取るために、面白ければ何をしたっていいということである。 この会社方針が..
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