2005年05月19日

続々・実名と匿名

そんなこんなで、やり込められながらも、
今日もまたネットの隅っこで独り言をつぶやいてみます。

松岡様の意見と、そこにつけられたコメントを読み返しては
何度か書きかけては削除して、の繰り返しのうちに2日間経過してしまいました。
おまけに、どうにか書き上げた途中でさっきPCがブルーバック(泣)

(関係ないが、推敲中の記事を非公開状態にして保存していたのですが
そこにトラックバックしてきたSPAMがあった!
いったいどうやって見つけたの?専用ツールでもあるのかな?)

さて本題。

松岡様が指摘された世間体というものは、実社会でもネットでも
不可欠であることは間違いないなぁと、深く深く同意してしまいました。

ネットなんて意見・主張がダイレクトに飛び交う世界ですから、
信頼をどこかで失ってしまったらすぐに暴露されて、叩かれて
仕方のない事態になってしまいかねませんし。

前のエントリでは名誉毀損とか法的なことを書いてしまいましたが
「世間体」とか、「思いやり」とか、そういった精神的なものも抑止力と
なり得るのは松岡様のご指摘通り。

そういえば、実社会での日本に目を向けてみると
近年よく取り上げられる自己中心的な行動(多すぎて書くまでもない)って
世間体を気にしないからこそ成立しうるわけで…

(カッコつけてはみても、私の現実での立ち振る舞いを見ると突込み三昧なんですが。)

あ、本題からずれそうなので元に戻します。
まぁそういうことで、今度のエントリーでは
法的責任とかそういう物から離れて考えてみました。

私は16bitパソコン全盛期からパソコン通信というものを始め、
普通にハンドルネームというものに親しんでいたのですが、私には縁が無かったようで
ネットで実名か匿名かを論争している現場を目撃するのは珍しかったので
先日からちょっと意見を書いてみたわけです。

自分で考えたこともないテーマだったのでずいぶん頭を揉まれましたが。
そんな中、私の中に浮かんだのは、丁度水と油のようなもので、
実名の下に発信するサイトと匿名で発信するサイトの2相間に
中庸派のサイトが漂っているイメージです。

水には水の、油には油の立場があるのだから
相手を説き伏せようが無いのではないか、とも思います。
水と油が混じるには界面活性剤が必要なので
(「良心」とか「ネットリテラシー」がそれに該当するのかな。)
匿名であっても、それをまとうことで実名派とも馴染むのではないか、
こう考えたわけです。

実名主義の人と匿名主義の人が論争したとする。
習慣的にみれば一見失礼な行為ではありますが、
正当に論争が行われているのであれば、
それが成立し得るのがネットの可能性ではないのかな、と。

松岡様の記事に対するTBやコメントを読んでいると
やはり十人十色の立場があるものですね。
現に、実際に被害にあった方も大勢おられるわけで。

実名で発信される方は学術研究員の方だったり
社会的に肩書きを持った方が大勢いらっしゃる気がします。
匿名でネットに表れる有名人もいらっしゃいますが
こっそりと正体をばらしたりする人もいれば
匿名を貫く人もいる…
各自のポリシーのままに動いていいんではないでしょうか。
そこにモラルがあるのなら。


…いやぁ、振り返ってみると相当痛い事書いちゃってるんだなぁ…
恥ずかしくて今更とても実名を晒す気になれない…(嘲)

ニックネーム いそはち at 09:13| Comment(2) | TrackBack(2) | トラックバック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月17日

続・実名と匿名

引き続き松岡様のブログより。


読売新聞「ヒゲ記者」事件で考える匿名と実名の功罪

にて、先日の当方のエントリーが引用されておりまして拝読したわけです。
(機会があれば…とのことでしたが、仕事が早いですね。さすが。)

なるほど、シチュエーションによる場合分けは必要かなと思いました。

特に、一度負の印象を植え付けられた方の名誉回復というのは
非常に難しい問題です。

記憶に新しいところでは松本サリン事件の河野さんでしょうか。
オウム一派の行状が判明するにつれ、今でこそ河野さんの事を悪く言う人は
居ないわけですが、やはり印象を払拭するには相当時間がかかるのですね。

さらに最近の例では、亜細亜大学の野球部員が
集団痴漢行為を働いたことでニュースとなったものの、
その後、嫌疑不十分で不起訴処分となっていることを知らない方も
大勢おられるようです。(google調べ)
(事件そのものが捏造だったのか、単に警察の捜査がまずいだけなのか、
事件の真偽の程は明らかではありません)

そのような観点で言うと、
私の先日のエントリでの主張も穴だらけである事を
認めざるをえないわけです。

とはいえ、乗りかかった舟ですので
後出しながら補足させていただく事にいたしますと、

最初から完全に偽名・匿名で発信した場合と
ある程度身元の割れた、実名と紐付けされたハンドルネームなりで
発信した場合とでは大きく記入者の心構えが異なるはず、
という事はまず考えられると思います。

匿名掲示板ですら今の警察の手にかかれば
限界はあれど個人特定は可能という事が分かっているはずなので。
(まだ犯罪予告などで逮捕される連中もいるが…)

当然、自作自演や普段と異なる「捨てハン」での書き込み、
さらに身元を騙っての誹謗中傷なども現れてくることは懸念されますが
ある程度技術でカバーできるのではないか?とも考えています。

ネットでの既存技術でいえば、IPアドレスの記録されている状況であるならば
警察でない第三者が類推する事は可能ですよね。

さらに踏み込むんで考えるのであれば、
例えば、情報を発信した際に端末が特定できる、暗号化されたコードが
自動的に埋め込まれるツールの登場も考えられます。
電子透かしの汎用版とでも言えばいいのか。

前回のエントリより引用しますと
自分が思うに、何かしらの情報発信を行う者は
その責任を負う義務があり、その情報の発信者の記載は
(例えば、署名)必要とは感じます。が、

この、(例えば、署名)というものは、そのような物があっても
いいのでは?という考えで、少し含みを持たせてみました。

ここまで書くと、やれ権利侵害だとか、政府による検閲だとか、大昔に
インテルCPUの固体IDやクリッパーチップで火がついた問題とかぶってしまうので
あくまで一個人の意見というレベルで留まらせていただきます。

私はそういうシステムの実装が義務付けられても
別に痛くも痒くもありませんし、むしろそういう物の登場を
望んでいたりもします。

しかし現時点でもはっきりと言えることは、
自分が世に出したものの全て(情報・著作物全て)に
最後まで面倒を見る自信があるかどうか、
その心構えさえあれば、私は匿名での発信であっても構わないと考えます。


最後に…
外野で吼えているようで申し訳ないのですが、
苫米地先生のブログでは、読売記者の実名は少なくとも会見の場では
明らかであったはずだ、とあるのですが…

では、なぜ新潮だけが報道したのでしょうか?
問題と感じた視聴者が少数だったから?
私が見聞きした限り、読売記者の行動を擁護するような意見はごくごく少数でした。
(もちろん、JRの方がさらに悪い、という主旨の意見は多数存在したが。)

であるならば、多少のタイムラグがあったとしても、
問題提起として複数の媒体により読売新聞の名が暴露されても良いように感じます。

やはりマスコミ業界内部にのみ適用される、不文律や不可侵な聖域が存在するのでしょうか。
一般人と業界人の意識に乖離があるとするならば、それも問題ではないでしょうか。


ニックネーム いそはち at 05:10| Comment(3) | TrackBack(4) | トラックバック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月16日

【補足】弁解…のようなもの

推敲が足らず、文脈が不明な部分があったので補足しておきます。

平成元年に発生した朝日新聞のサンゴ礁事件のことははっきり覚えていますが、その時のカメラマンの名前なぞ最早記憶してもいません。
ただ、朝日新聞は身内に甘いんだなぁという印象だけを深く記憶に刻んだわけです。


このエントリーを書く前に当時の朝日新聞記事を確認したところ、
発覚当初は朝日新聞はしらばっくれており、第三者の介入があって
初めて非を認めたという経緯でした。
ですから、身内に甘い、ということになるのです。


あれ、この構図は読売の件でも、TBS盗作の件でも同じでは…。



ニックネーム いそはち at 15:46| Comment(0) | TrackBack(0) | トラックバック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月15日

弁解…のようなもの

すちゃらかな日常 (松岡美樹氏のブログ)より
JR西日本を恫喝した「髭記者」の実名にたかるブログ・スクラム

自分なんぞも便乗して騒いでいる一人なわけですね。反省。

さて、この場にて私の考えを述べておくと、
問題の記者よりも読売新聞社の姿勢を問題とすべきだと思うのです。

週刊新潮にて、問題の記者の社名が明らかになり、実名が公表されて
いわゆる祭りとなって初めて読売新聞が謝罪記事を公表したこと。
謝罪をしたことは一定の評価をすべきとは思うものの、実際アクションが遅すぎる。
会見報道があってから約1週間後の謝罪記事ですよ。

読売新聞社の謝罪記事によると、
記者に対しては新聞協会や自社のルールに則って取材方法などを指導していたそうですが
新潮の記事からも、問題の記者は以前にも鳥インフルエンザの会見の場で
似たような行動を取ったことが読み取れますから、
実際に指導しているのかどうか疑わしいわけです。新潮の記事が事実なら、ですが。

読売新聞の関係者は放送をみて、とっくに自社の人間であることに気がついていたはずですよね。
6日の会見からは問題の記者をJRの会見の場から外したともありますし。
であるなら、なぜその場で謝罪記事を出さなかったのか?
また、新聞記者は行動規範に違反したのであれば
罰則があって然るべきですね。会社員である以上は。


自分は清谷氏のブログにTBを送った時点でブログスクラムの一員となってしまっていますが、記者の実名にこだわりがあるわけではありません。
平成元年に発生した朝日新聞のサンゴ礁事件のことははっきり覚えていますが、その時のカメラマンの名前なぞ最早記憶してもいません。
ただ、朝日新聞は身内に甘いんだなぁという印象だけを深く記憶に刻んだわけです。


ところで、冒頭にてリンクした松岡氏のブログの中でのコメントに、
匿名の意見についての論議があったのですがちょっと引っかかるものが
あったのでついでに書いておきます。

自分が思うに、何かしらの情報発信を行う者は
その責任を負う義務があり、その情報の発信者の記載は
(例えば、署名)必要とは感じます。が、
それが実名である必然性は、果たして? ということ。

例えば私が事実と異なる情報を流布したことで、その責任を問われる事態となった場合
警察の捜査によって自分の身元特定がなされます。それで充分なのではないかと。
これだけ名簿の類が闇に出回っているご時世です、
家に寿司50人前が出前されてはたまりませんからね。


早い話、ハンドルネームと実名が紐付けされていればいいんですよ。
有名人だって芸名やペンネームくらい使っている。
(松岡氏は実名だそうですが)


最後に、これは本題からずれるのですが、
前述の実名・匿名の話題のなかでも紹介されていた、
実名ブログを推進される苫米地氏のブログをちょっと拝見しました。
そしたら、
こんなものを発見。

カーブに進入してから急ブレーキをかけたらしいから、これは、車輪がロックして、車体が慣性、遠心力で飛んだということだろう。自動車でも山道とかで、よく初心者が、高速で進入して、カーブの真ん中で慌ててブレーキを踏んで、ブレーキングドリフトして大破という事故があるけど、あれと原理は同じだ。要するに運転士が初心者だったということだろうが、そうなると、なんで、100キロ以上の高速でカーブに進入したかが焦点だろう。

これほど私よりも頭が良い理系の方でも
鉄道と車の挙動の違いを理解されていないわけで、正直幻滅。

道理で某・桜井氏の珍説に納得してしまう人が世間に多いわけだ。
と妙に納得してしまったのでした。


以上、鉄道オタクのたわごとでした。

ニックネーム いそはち at 14:59| Comment(5) | TrackBack(3) | トラックバック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月12日

恫喝記者は読売新聞記者だった

自分は以前にも読売新聞の拡販員により非常に不愉快な経験をしております。

読売新聞社はJR西日本バッシングも結構ですが、自分の足元を見てはいかがかと…

只でさえ、マスコミ全体に対する不信感が強まっているというのに。
髭を剃ったくらいで済まされる問題ではないですぞ。

清谷防衛経済研究所 ブログ分室

参考文献
鉄道の信号システムに詳しい友人の記事より

事故後に最も大切なことは人命の救助,そして経営陣が状況を把握することなんですが,マスコミが好奇心でその邪魔をしているようにしか見えません。

地上では救助活動で生存確認をしているというのに,上空にヘリコプターを飛ばして騒音を立てる。
現場からのレポートと称して,救出作業の邪魔をする。
鉄道工学の知識すらない「評論家」を呼んで,(マスコミでも理解できる)判りやすいコメントを言わせる。

結局,マスコミの馬鹿さ加減を再認識させられただけのような気がします。



5/13 追記 読売新聞が謝罪記事を掲載しました。
ニックネーム いそはち at 09:58| Comment(2) | TrackBack(0) | トラックバック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする