2005年05月22日

ANAのフィギュア




ANAユニフォームコレクション

これ実物を目にしたんですが、すごい出来がいい。
買おうと思ったけど嫁に殺されそうなので諦めます。

しかし、この手のフィギュアコレクターは
どうやって保管場所を確保してるんだろう。
100円ショップのディスプレイBOX積み重ねてるんだろうか?

うちの鉄道模型コレクションも大変な事になっているので、ふと疑問に思った次第。

そういや、TOMYTECHも鉄道むすめコレクションっての発売するらしく。
コレ子で味をしめたか?

ニックネーム いそはち at 12:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 鉄道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月19日

続々・実名と匿名

そんなこんなで、やり込められながらも、
今日もまたネットの隅っこで独り言をつぶやいてみます。

松岡様の意見と、そこにつけられたコメントを読み返しては
何度か書きかけては削除して、の繰り返しのうちに2日間経過してしまいました。
おまけに、どうにか書き上げた途中でさっきPCがブルーバック(泣)

(関係ないが、推敲中の記事を非公開状態にして保存していたのですが
そこにトラックバックしてきたSPAMがあった!
いったいどうやって見つけたの?専用ツールでもあるのかな?)

さて本題。

松岡様が指摘された世間体というものは、実社会でもネットでも
不可欠であることは間違いないなぁと、深く深く同意してしまいました。

ネットなんて意見・主張がダイレクトに飛び交う世界ですから、
信頼をどこかで失ってしまったらすぐに暴露されて、叩かれて
仕方のない事態になってしまいかねませんし。

前のエントリでは名誉毀損とか法的なことを書いてしまいましたが
「世間体」とか、「思いやり」とか、そういった精神的なものも抑止力と
なり得るのは松岡様のご指摘通り。

そういえば、実社会での日本に目を向けてみると
近年よく取り上げられる自己中心的な行動(多すぎて書くまでもない)って
世間体を気にしないからこそ成立しうるわけで…

(カッコつけてはみても、私の現実での立ち振る舞いを見ると突込み三昧なんですが。)

あ、本題からずれそうなので元に戻します。
まぁそういうことで、今度のエントリーでは
法的責任とかそういう物から離れて考えてみました。

私は16bitパソコン全盛期からパソコン通信というものを始め、
普通にハンドルネームというものに親しんでいたのですが、私には縁が無かったようで
ネットで実名か匿名かを論争している現場を目撃するのは珍しかったので
先日からちょっと意見を書いてみたわけです。

自分で考えたこともないテーマだったのでずいぶん頭を揉まれましたが。
そんな中、私の中に浮かんだのは、丁度水と油のようなもので、
実名の下に発信するサイトと匿名で発信するサイトの2相間に
中庸派のサイトが漂っているイメージです。

水には水の、油には油の立場があるのだから
相手を説き伏せようが無いのではないか、とも思います。
水と油が混じるには界面活性剤が必要なので
(「良心」とか「ネットリテラシー」がそれに該当するのかな。)
匿名であっても、それをまとうことで実名派とも馴染むのではないか、
こう考えたわけです。

実名主義の人と匿名主義の人が論争したとする。
習慣的にみれば一見失礼な行為ではありますが、
正当に論争が行われているのであれば、
それが成立し得るのがネットの可能性ではないのかな、と。

松岡様の記事に対するTBやコメントを読んでいると
やはり十人十色の立場があるものですね。
現に、実際に被害にあった方も大勢おられるわけで。

実名で発信される方は学術研究員の方だったり
社会的に肩書きを持った方が大勢いらっしゃる気がします。
匿名でネットに表れる有名人もいらっしゃいますが
こっそりと正体をばらしたりする人もいれば
匿名を貫く人もいる…
各自のポリシーのままに動いていいんではないでしょうか。
そこにモラルがあるのなら。


…いやぁ、振り返ってみると相当痛い事書いちゃってるんだなぁ…
恥ずかしくて今更とても実名を晒す気になれない…(嘲)
ニックネーム いそはち at 09:13| Comment(2) | TrackBack(2) | トラックバック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月17日

続・実名と匿名

引き続き松岡様のブログより。


読売新聞「ヒゲ記者」事件で考える匿名と実名の功罪

にて、先日の当方のエントリーが引用されておりまして拝読したわけです。
(機会があれば…とのことでしたが、仕事が早いですね。さすが。)

なるほど、シチュエーションによる場合分けは必要かなと思いました。

特に、一度負の印象を植え付けられた方の名誉回復というのは
非常に難しい問題です。

記憶に新しいところでは松本サリン事件の河野さんでしょうか。
オウム一派の行状が判明するにつれ、今でこそ河野さんの事を悪く言う人は
居ないわけですが、やはり印象を払拭するには相当時間がかかるのですね。

さらに最近の例では、亜細亜大学の野球部員が
集団痴漢行為を働いたことでニュースとなったものの、
その後、嫌疑不十分で不起訴処分となっていることを知らない方も
大勢おられるようです。(google調べ)
(事件そのものが捏造だったのか、単に警察の捜査がまずいだけなのか、
事件の真偽の程は明らかではありません)

そのような観点で言うと、
私の先日のエントリでの主張も穴だらけである事を
認めざるをえないわけです。

とはいえ、乗りかかった舟ですので
後出しながら補足させていただく事にいたしますと、

最初から完全に偽名・匿名で発信した場合と
ある程度身元の割れた、実名と紐付けされたハンドルネームなりで
発信した場合とでは大きく記入者の心構えが異なるはず、
という事はまず考えられると思います。

匿名掲示板ですら今の警察の手にかかれば
限界はあれど個人特定は可能という事が分かっているはずなので。
(まだ犯罪予告などで逮捕される連中もいるが…)

当然、自作自演や普段と異なる「捨てハン」での書き込み、
さらに身元を騙っての誹謗中傷なども現れてくることは懸念されますが
ある程度技術でカバーできるのではないか?とも考えています。

ネットでの既存技術でいえば、IPアドレスの記録されている状況であるならば
警察でない第三者が類推する事は可能ですよね。

さらに踏み込むんで考えるのであれば、
例えば、情報を発信した際に端末が特定できる、暗号化されたコードが
自動的に埋め込まれるツールの登場も考えられます。
電子透かしの汎用版とでも言えばいいのか。

前回のエントリより引用しますと
自分が思うに、何かしらの情報発信を行う者は
その責任を負う義務があり、その情報の発信者の記載は
(例えば、署名)必要とは感じます。が、

この、(例えば、署名)というものは、そのような物があっても
いいのでは?という考えで、少し含みを持たせてみました。

ここまで書くと、やれ権利侵害だとか、政府による検閲だとか、大昔に
インテルCPUの固体IDやクリッパーチップで火がついた問題とかぶってしまうので
あくまで一個人の意見というレベルで留まらせていただきます。

私はそういうシステムの実装が義務付けられても
別に痛くも痒くもありませんし、むしろそういう物の登場を
望んでいたりもします。

しかし現時点でもはっきりと言えることは、
自分が世に出したものの全て(情報・著作物全て)に
最後まで面倒を見る自信があるかどうか、
その心構えさえあれば、私は匿名での発信であっても構わないと考えます。


最後に…
外野で吼えているようで申し訳ないのですが、
苫米地先生のブログでは、読売記者の実名は少なくとも会見の場では
明らかであったはずだ、とあるのですが…

では、なぜ新潮だけが報道したのでしょうか?
問題と感じた視聴者が少数だったから?
私が見聞きした限り、読売記者の行動を擁護するような意見はごくごく少数でした。
(もちろん、JRの方がさらに悪い、という主旨の意見は多数存在したが。)

であるならば、多少のタイムラグがあったとしても、
問題提起として複数の媒体により読売新聞の名が暴露されても良いように感じます。

やはりマスコミ業界内部にのみ適用される、不文律や不可侵な聖域が存在するのでしょうか。
一般人と業界人の意識に乖離があるとするならば、それも問題ではないでしょうか。


ニックネーム いそはち at 05:10| Comment(3) | TrackBack(4) | トラックバック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ネコ用水洗トイレ付きマイホーム




東奥日報の記事より


あー、これは欲しいなぁ。今は飼ってないけど。

ニックネーム いそはち at 03:01| Comment(0) | TrackBack(0) | ご近所猫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

中国初 吊り下げ式リニアが登場(人民網 報道)




中国初 吊り下げ式リニアが登場


車重が肩にある2本のレールにかかった懸垂式モノレールのように見えますが、
(レールが2本あるならモノレールじゃないって突っ込みはご勘弁)

おそらくトラクションプレートが、レールの間の位置に
設置されるのではないかと思います。

大阪地下鉄鶴見緑地線や東京メトロ大江戸線のようなリニア式鉄道と
懸垂式モノレールの合いの子のような構造といったところでしょうか。


恐らく、完全に浮上するようにはなっておらず、
磁気による吸着でレールへの荷重を軽減すると同時に
推進力を得るのではと推測します。

相当構造がシンプルになっているので車体の軽量化に貢献するのは
間違いのないところですが、江門日報社の記事(簡体字中文)を読むと10人乗りとあり
大量輸送には向かないようにも見えます。
B747程度の輸送力を確保しようと思うならこの車輌を50両連結しなければなりませんから。

また、構造がシンプルすぎて、現状の設計で乗員を乗せて100km/h以上のスピードを出せるとは
到底考えにくいのです。安全強度足りているのだろうか?

これ以上車体を大型するなら構造そのものを見直さなければならないはずなので
都市間輸送ではなく、既存の都市モノレールや新交通システムに代替する交通機関としては
選択肢の一つとなり得るのではないか、と思った次第です。
今後の開発次第では大化けするとも限りませんので。

それはそうと、
JR東海のマグレブは何とか国家予算をつけて実用化して欲しいものです…


ニックネーム いそはち at 00:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 鉄道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月16日

【補足】弁解…のようなもの

推敲が足らず、文脈が不明な部分があったので補足しておきます。

平成元年に発生した朝日新聞のサンゴ礁事件のことははっきり覚えていますが、その時のカメラマンの名前なぞ最早記憶してもいません。
ただ、朝日新聞は身内に甘いんだなぁという印象だけを深く記憶に刻んだわけです。


このエントリーを書く前に当時の朝日新聞記事を確認したところ、
発覚当初は朝日新聞はしらばっくれており、第三者の介入があって
初めて非を認めたという経緯でした。
ですから、身内に甘い、ということになるのです。


あれ、この構図は読売の件でも、TBS盗作の件でも同じでは…。



ニックネーム いそはち at 15:46| Comment(0) | TrackBack(0) | トラックバック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月15日

弁解…のようなもの

すちゃらかな日常 (松岡美樹氏のブログ)より
JR西日本を恫喝した「髭記者」の実名にたかるブログ・スクラム

自分なんぞも便乗して騒いでいる一人なわけですね。反省。

さて、この場にて私の考えを述べておくと、
問題の記者よりも読売新聞社の姿勢を問題とすべきだと思うのです。

週刊新潮にて、問題の記者の社名が明らかになり、実名が公表されて
いわゆる祭りとなって初めて読売新聞が謝罪記事を公表したこと。
謝罪をしたことは一定の評価をすべきとは思うものの、実際アクションが遅すぎる。
会見報道があってから約1週間後の謝罪記事ですよ。

読売新聞社の謝罪記事によると、
記者に対しては新聞協会や自社のルールに則って取材方法などを指導していたそうですが
新潮の記事からも、問題の記者は以前にも鳥インフルエンザの会見の場で
似たような行動を取ったことが読み取れますから、
実際に指導しているのかどうか疑わしいわけです。新潮の記事が事実なら、ですが。

読売新聞の関係者は放送をみて、とっくに自社の人間であることに気がついていたはずですよね。
6日の会見からは問題の記者をJRの会見の場から外したともありますし。
であるなら、なぜその場で謝罪記事を出さなかったのか?
また、新聞記者は行動規範に違反したのであれば
罰則があって然るべきですね。会社員である以上は。


自分は清谷氏のブログにTBを送った時点でブログスクラムの一員となってしまっていますが、記者の実名にこだわりがあるわけではありません。
平成元年に発生した朝日新聞のサンゴ礁事件のことははっきり覚えていますが、その時のカメラマンの名前なぞ最早記憶してもいません。
ただ、朝日新聞は身内に甘いんだなぁという印象だけを深く記憶に刻んだわけです。


ところで、冒頭にてリンクした松岡氏のブログの中でのコメントに、
匿名の意見についての論議があったのですがちょっと引っかかるものが
あったのでついでに書いておきます。

自分が思うに、何かしらの情報発信を行う者は
その責任を負う義務があり、その情報の発信者の記載は
(例えば、署名)必要とは感じます。が、
それが実名である必然性は、果たして? ということ。

例えば私が事実と異なる情報を流布したことで、その責任を問われる事態となった場合
警察の捜査によって自分の身元特定がなされます。それで充分なのではないかと。
これだけ名簿の類が闇に出回っているご時世です、
家に寿司50人前が出前されてはたまりませんからね。


早い話、ハンドルネームと実名が紐付けされていればいいんですよ。
有名人だって芸名やペンネームくらい使っている。
(松岡氏は実名だそうですが)


最後に、これは本題からずれるのですが、
前述の実名・匿名の話題のなかでも紹介されていた、
実名ブログを推進される苫米地氏のブログをちょっと拝見しました。
そしたら、
こんなものを発見。

カーブに進入してから急ブレーキをかけたらしいから、これは、車輪がロックして、車体が慣性、遠心力で飛んだということだろう。自動車でも山道とかで、よく初心者が、高速で進入して、カーブの真ん中で慌ててブレーキを踏んで、ブレーキングドリフトして大破という事故があるけど、あれと原理は同じだ。要するに運転士が初心者だったということだろうが、そうなると、なんで、100キロ以上の高速でカーブに進入したかが焦点だろう。

これほど私よりも頭が良い理系の方でも
鉄道と車の挙動の違いを理解されていないわけで、正直幻滅。

道理で某・桜井氏の珍説に納得してしまう人が世間に多いわけだ。
と妙に納得してしまったのでした。


以上、鉄道オタクのたわごとでした。

ニックネーム いそはち at 14:59| Comment(5) | TrackBack(3) | トラックバック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

昨日のテレビ

夜8時〜9時くらいだったか、バラエティ番組を見たのです。
(多分、フジのめちゃイケですね。)

お台場にある船の博物館でロケしてたんですが
露骨に引越しおばさんをネタにしてましたね。
「ロケ中止!ロケ中止!しばくぞっ!」(布団ばんばん)

…まだ第一審判決も降りていない以上
ただの一市民だと思うのですが、報道番組として特集するならまだしも
お笑いのネタにするのは有りなのだろうか??

と、ふと考え込んでしまう。

検索してみて、このようなページを見つけました。
長くなりますが引用させていただきます。
下手にブツ切りにするとミスリードとなりかねないので。

私のような中途半端な理系人間にはちと難しいのですが、読んだ後、
先日の読売記者の件を考えるとまた違った物が見えた、気がしました。

「内田 樹の研究室」の過去の日記 7/1の分より、

今日の大学院の演習のテーマは「司法とマスメディア」。発題者は司法浪人の影浦くん。

松本サリン事件、和歌山ヒ素事件を題材に、裁判所で判決が出る前にマスメディアによって実質的な社会的制裁がなされてしまう事態を批判してくれた。

影浦くんの言うのは正論である。

しかし、ウチダはいかなる「正論」に対してもつねに「アヤを付ける」ことを教師の教育的配慮の一つと心得ているので、さっそく反論を試みる。

メディアが裏付けのない予断によって市民を犯罪者扱いにして、社会的に抹殺することはもちろん許されることではない。

しかし、そのような予断を完全に制限することは不可能だし、なすべきでもないと私は思う。

「疑わしきは罰せず」と言うが、逮捕、起訴、裁判、判決、どの段階で私たちが被疑者によせる「疑わしさ」は「確信」に変わるのか?

たしかに最高裁で判決が下されれば、制度的には正邪理非はあきらかになり、「疑わしさ」を「確信」に切り替えてよい、ということになるであろう。

しかし、ほんとうにそうしてよいのだろうか?

現に私たちは最高裁判決のいくつかについて懐疑的であることが多い。最高裁判決に対して涙で抗議する人々や居丈高に論難する有識者を私たちはメディアでよく拝見する。法制上の終局判決が「客観的事実」と同じだけの事実性の重みをもっていると私たちは感じていない。

つまり、ある犯罪について「疑わしさ」が「確信」に切り替わる決定的契機というのは、法律的擬制としてしか存在しないのである。

「そのとき何が起きたのか」については、つねに一抹の「疑わしさ」がついてまわる。

それはどれほど証拠を並べ立てても、どれほど時間をかけて検察弁護の言い分を吟味しても「ほんとうに、そうなのだろうか?」という疑惑は(タイムマシンに乗って、犯行の瞬間に立ち戻らない限り)完全には払拭されない。

だから「疑わしきは罰せず」という法諺を文字通りに適用すれば、逆説的なことに、司法制度そのものが不可能になってしまうのである。

法律で言う「疑わしさ」や「確証」は擬制であって、事実ではない。

だからメディアに向かって、「最終的な判決が下るまでは、被疑者についていかなる予断も持ってはならない」と要求しても、メディアがそれを受け容れるはずはないのである。

そもそも私たちは現にマスメディアの「制裁機能」を準−司法的な制度としてすでに受け容れている。

判決にあたって、裁判官が「被告はすでに十分な社会的制裁を受けており・・・」という説明によって量刑を加減するということは現に行われている。この言葉は司法制度以外の社会制度が「信賞必罰」という社会的機能の一部を補助的に担っていることを暗に認めている。

私たちがメディアに要求すべきなのは、「疑わしきは罰せず」という原則の遵守ではなく(それは不可能である)、メディアはどのような準−司法的機能を担うべきか、についての議論の深化と社会的合意の形成である。

メディアの過熱する犯罪報道についてはきびしい批判をする人が多い。

しかし、法律的判決以前に、すこしでも速く、それとは別の(もっと厳密でない)基準によって、被疑者への社会的制裁がなされることを切望しているのは、私たち自身なのである。

推定と予断に基づく社会的制裁を厳密に禁じた場合、私たちの社会は今より住み易くなるだろうか?

これは頭をクールダウンして計算すべき論件であるように私には思われる。



ニックネーム いそはち at 12:00| Comment(2) | TrackBack(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月14日

EF65 茶のカモレGET!

家の近くを歩いていたらEF65-57が突然やってきたので
慌てて撮影しましたよ。

image/ahi-2005-05-14T11:00:18-1.data


…ただし携帯カメラで(笑) 手元にこれしかなかったから…

秩父セメントの専貨のようです。

それにしても、架線柱かぶってるわ、ひでぇなあこりゃ。
せめて横向きにすりゃよかったかな。まぁいいか。
ニックネーム いそはち at 11:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 鉄道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月13日

双子?



どこかのおじさんがご飯あげてるのです。
雨が降っていて真っ暗だったので、携帯では綺麗に撮れませんでした…

こうして、皆すくすく育っているのであった。

前出の遊歩道にて。

ニックネーム いそはち at 07:50| Comment(0) | TrackBack(0) | ご近所猫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする